風(プネウマ)は思いのままに 禅体験をこえて神体験へ(絶版) [1090]

風(プネウマ)は思いのままに 禅体験をこえて神体験へ(絶版) [1090]

販売価格: 1,651(税別)

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商品詳細

風(プネウマ)は思いのままに
禅体験をこえて神体験へ

大島澄江 著

247ページ 四六判
定価:本体1650円+税

ISBN 4-88626-109-0 C0016
1993年2月 初版発行

「この書物の主題は「聖霊の神学」であるといえると思います。著者は聖霊の神学を体系的に展開されているのではありませんが、本書で触れられている神体験は私たちのうちにあって、まったく自由に望みのままに働き、現存したもう聖霊の体験に他ならず、その意味でこの書物は貴重な「聖霊の神学」入門であります。」稲垣良典師の序文より

禅体験と神体験の大きな違いに、改めて驚かされ、それを何とか表現化してみたいと、考え続けておりました。そのようなときに、バーナード・ロナガンという哲学者の認識理論を、知ることになったのです。
 それを身につけることによって、禅体験と神体験の相違点が、次第に明瞭になったばかりか、私自身の心の軌跡が分析、かつ統合されるようになりました。そこで禅体験と神体験の違いを私なりに明らかにし、信仰体験の裏付けになったロナガンの哲学理論を、やさしく紹介してみたいと思いたちました。 「はじめに」より

禅体験と神体験について、禅宗の習慣にのっとったカトリック禅体験とはなにか、イグナチオの霊操について、バーナード・ロナガンの哲学について・・・・。シャルトルの聖パウロ修道女会のシスターである著者の自己と人間の霊的世界への深い洞察。



◆目次◆

序文
はじめに
第一部 禅体験と神体験
    一 幼な子の問い ――上からの導き
    二 禅宗の週間にのっとったカトリック禅体験
    三 イグナチオの霊操(キリスト教的祈りの一方法) ――いただいた神体験
    四 ロナガンに導かれて ――なぜ禅体験は神体験ではないのか
第二部 バーナード・ロナガンの哲学
    一 バーナード・ロナガンの紹介
    二 ロナガンの哲学に導かれて ――第三回目のイグナチオの霊操から
                   ――幼な子への答え
おわりに